矢野雅幸ブログ

ヒコー少年回想録8

投稿日時:2016/08/18(木) 00:22

レコード・ジャケット専門のデザイン・スタジオを創立した時の1983年の話です。

原宿交差点から歩いて2~3分の所に、ビタミン・スタジオを開きましたが、最初は僕と留守番で頼んだコピーライターとで始まりました。CBSソニーも含めて、以前から知っていた東芝EMI、ビクター、ワーナー・パイオニア等のレコード会社に売り込みに行きました。以前、一緒に仕事をした事のあるワーナー・パイオニアのミュージック・ディレクターの瀬戸さん(現音楽会社社長)を訪ねて、新しくスタジオを作った事を伝えたところ、意外な返事が返って来ました。今から矢沢さんに会いに行こうと言われましたが、僕は一瞬、以前アルバム・デザインをしたアリスの矢沢透氏かと思いましたが、瀬戸さんが矢沢永吉さんだよと言い直しました。

僕と瀬戸さんはタクシーで表参道交差点に向かいました。矢沢さんの事務所は交差点の直ぐ近くのマンションに在り、瀬戸さんが事前に連絡を入れていたので、事務所に入ると矢沢さんが待っていて瀬戸さんが僕を紹介すると、矢沢さんは聞き覚えのある調子の「ヨロシク!」と言って僕と握手をしてから、新しいアルバムの話を始めました。

その約10年前に、リブ・ヤングでキャロルを見た時に感じたのはビートルズの曲を完全にキャロル(その時は確かメドレーでスロー・ダウンとロング・トール・サリー等のメドレーだった思います)のモノにしていて、ハーモニーも完全にロックしてました。

もし、僕が音楽プロデューサーだったら、直ぐにテレビ局に電話して交渉するぐらいイカシてました。キャロルと同様に凄いなと思ったバンドは、シーナ・アンド・ロケッツでアメリカから帰って来て数ヶ月で、知り合いのイラスト・レイターの紹介で下北沢の地下のライブ・ハウスで見ましたが、お客は僕を含めても5~6人しか居ませんでした。

最初は鮎川誠氏は白のテレキャスターを弾いていて、途中から黒のレス・ポールに持ち替えゴキゲンな音を出して、それに絡むシーナさんのボーカル「レモン・ティー」はジャスト・フィットしていて、こんな凄いバンドが日本に居る事に驚きました。

矢沢さんの新アルバムの撮影は、世田谷通り農大近くの109スタジオで、充分過ぎる位のスタジオ室内の広さでしたが、撮影が始まるとそれは危惧だと分りました。PAをスタジオに持って来て、実際に歌っている所を撮影して、自然な表情とポーズを撮っていましたが横で見ていても迫力が有り、本当に汗をかいていたのです。

約25年ほどデザイナーをして、様々なミュージシャンのレコード・ジャケットのデザインをしましたが、PAを持ち込んで歌って汗をかいた人は矢沢さんだけでした。

矢沢永吉さんの仕事をするキッカケを作ってくれたのが、北原照久さんでした。アメリカから帰って来てから、北原さんが僕の仕事を心配してペドロ&カプリシャスのペドロさんを紹介してくれて、アルバムのデザインをしました。その時のミュージック・ディレクターが瀬戸さんで、北原さんに矢沢さんの仕事をするチャンスを作って貰いました。

ビタミン・スタジオを開いてから、程なく矢沢さんの会社が僕のスタジオから50mと離れてない、有名なマンションに引っ越して来ました。打ち合わせには歩いて5分以内で行けたので、よく矢沢さんのスタッフと打ち合わせをしていました。

矢沢さんからレコード・ジャケット以外に、コンサート用販売パンフレット、チケット、ポスター、カレンダー、タオル等のデザインとヤザワ・クラブの会報を依頼されました。

秋にシングル盤「ラスト・クリスマス・イブ」の打ち合わせで、矢沢さん事務所に行きましたが、矢沢さんがシングルのデモ・テープを探したのですが見つからなくて、矢沢さんが僕をブースに連れて行って、そこに在ったギターを抱えて「矢野、こんな感じの曲だから」と言って弾きながら歌いました。

ブースには矢沢さんと僕だけで、スーパー・スターの歌を目の前で、しかも一人で聞けました! しかも、矢沢さんがギターをトチッテ何か人間的な感じがしました。

矢沢さん、瀬戸さん、僕で新作アルバムの打ち合わせの時に、矢沢さんから「矢野は何処の出身か?」と聞かれて、「香川県の観音寺市という所ですが」と言った途端、矢沢さんが急に、日本で原爆を落としたい所が2ヶ所あるが、瀬戸(福岡県の炭鉱町)と矢野(漁師町)の町だぞと云われました。理由を聞いたところ、矢沢さんがソロになってから全国を回っている時に、客が暴れて演奏を中断した会場が、偶然にも瀬戸さんと僕の町でした!!

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矢野雅幸(やの まさゆき)
大学卒業後、CBSソニーレコード(当時)に入社。27歳で独立、フリーのデザイナーとして「ビタミンスタジオ」を設立。数多くのアーティストのレコード、CDジャケットのデザインを手懸けている。その後東京 南青山の骨董通りにデスクトップ/ミュージアムモデル専門店「ウイング クラブ」をオープン。この種のモデルの国内における認知を高めると共に、独自のジャンルとして定着させた。