矢野雅幸ブログ

ヒコー少年回想録9

投稿日時:2016/08/18(木) 00:23

最初に所有したMGミジェットから乗り換えたケーターハム・スーパー・セブン(OHV/1.6/110HP)は、オーダーから1年6ヶ月以上待って1983年10月に納車されました。

その時から僕はセブン教(?)の熱心な信者になり、いつの間にかセブンの狂信者になってしまいました。当時のセブン所有者は完全にマイノリティで、セブンの狂信者は僕の周りには沢山いて、それだけセブンは半端ではない強烈な印象をドライバーに与える車でした。

元々はロータス(エンブレムは蓮の中にACBCの名前の頭文字)のアンソニー・コーリン・ブルース・チャップマンが造ったセブンを、ケーターハム社のグラハム・ニアーンが製造権を得てロータス・セブンS3(S2はカルトTV番組「プリズナー6」の主人公が乗っていて有名です)をベースに、ロータス・ツインカム・エンジンやOHVの数種類のエンジンを選べて搭載していました。イギリスでは税金の為にキット・カーで販売されましたが、日本には完成車で輸入されました。

僕の2台目のセブン(コスワース4バルブ/1.6/155HP)は、1台目で作りたいセブンのアイデアが固まっていたので、パーツを買いにイギリスのケーターハム本社に行って、ショート・コクピット・ボディ、スペシャル・ボンネット、アルミ・ノーズ、サイクル・フェンダー、リア・フェンダー、LSD(リミテッド・スリップ・デフ)、ドライサンプ・キット、アーム類等、その他必要なパーツをブッシュ類やボルト類からワッシャまで多数購入して、約4ヶ月後に航空便で2個の大きい木箱で送られて来ました。

組み立てはセブンのオーナーでもある、シルバーストーン・ガレージの花村さんに頼みました。

新しいボディは、最初にアルミ・ボディ・フレームを裏返して底のアルミ・リベットを何箇所か外して、パイプ・フレームにエンジン・オイルを流し込んで5日間熟成(?)させてからオイルを抜き組み立てました。

僕は2週間殆どデザインの仕事をしないで、工場に入浸りで手伝っていましたが、耐圧ホース、ステンレス・ホース・バンド等が無い時は都内を探して揃えていました。何か足らないパーツが有れば直ぐに探して間に合せていました。全てのボルト、ナット、ワッシャはメッキして、カム・カバー等その他見えない所まで組み付けましたが、手伝っていて一番大変だったのはサイクル・フェンダーのステーを短く詰める作業で、夕方から花村さんと僕で作業に取り掛かりましたが、ステーを短くする度に、タイヤ付のホイールを装着する必要があり、気が付くと夜中になっていて疲れましたが、どうにか終わりました。

その他、色々な作業と問題をその度に解決して20日間で完成しました。シェイクダウン・テストは、あるセブン専門店の誘いで富士スピード・ウェイ・サーキットで行いました。僕のセブンは軽量化をして、通常のウィンド・スクリーン、ワイパー・モーター、幌骨、スペア・タイヤ等を下ろして、車重は約530Kg位なのでコスワース・エンジンの155馬力は、普通車の半分以下の重量なのとエンジン・パワーは充分で、まるで50年代のレーシング・カーを公道で走らせている様な車でした。

僕は3台目になるスーパー・セブン(ツイン・カム/126hp)を2台目のセブンを作り上げた後で、友達から買ったクラムシェル・フェンダーのツイン・カム・エンジンのセブンは改造しないで、幌を張って通勤に使っていましたが、もう1台のコスワース・エンジンのセブンは箱根に行く時に乗りました。

普通のスポーツ・カーはスニーカーで、スーパー・セブンは裸足に例えられていて、運転の全てがダイレクトで、車重の軽さがエンジン・パワーのバランスで、いかに面白い車になるかのスーパー・セブンは良い見本だと思いましたが、安全面は50年代のレーシング・カーと同じでした。

僕はスーパー・セブンで車の基本的な構造を学び、ヒール・アンド・トゥ(クラッチを踏みブレーキ、アクセル、シフトを同時に操作する)、スピン・ターン(LSDが付いて無いと出来ない)、カウンター・ステア等のテクニックを覚えましたと言うより、最低限のテクニックを身に付けないと、セブンをスムーズに速く走らせる事は出来ませんでした。セブンに乗る時は、帽子とヘルメットは必要で、レーシング・スクリーンを付けていると、時々、他車が飛ばした石が当たる事があるのです。

足元のペダル間隔はレーシング・カー並みに狭いので、レーシング・シューズは必須で、春夏秋冬ドライビング・グローブは常に使用していました。

僕はアメリカ海軍のHGUタイプ・ヘルメット(ダブル・バイザー)を改造して、内部にヘッドフォンを取り付けてウォーク・マンを聞けました(勿論、曲はハイウェイ・スター、ワイルドで行こう等)。センター・トンネルをアルミのままにしていたので、夏の昼間は暑い(熱い)のでポロ・シャツ、夜はジャンパーが必要でした。冬は寒さとの闘いで、其れなりの服装(A2ジャケット、セーター、マフラー、オートバイ用グローブ)を着ているのですが、走行中はヒーターの熱は全て吸い出され、寒かった! 

しかし、春と秋の晴天の日は箱根をスーパー・セブンで走るのは、スーパー・セブンでしか味わえない世界で最高に気持ち良かった!     

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矢野雅幸(やの まさゆき)
大学卒業後、CBSソニーレコード(当時)に入社。27歳で独立、フリーのデザイナーとして「ビタミンスタジオ」を設立。数多くのアーティストのレコード、CDジャケットのデザインを手懸けている。その後東京 南青山の骨董通りにデスクトップ/ミュージアムモデル専門店「ウイング クラブ」をオープン。この種のモデルの国内における認知を高めると共に、独自のジャンルとして定着させた。