矢野雅幸ブログ

ヒコー少年回想録10

投稿日時:2016/08/18(木) 00:25

レコード・ジャケット・デザインの仕事で、一度だけ実機の飛行機を使用した1986年頃の話です。

ミュージシャンは角松敏生さんで、それまでに同氏の何枚かのアルバム・デザインをしていましたが、当時の日本のアルバム・カバーで見た事の無かった飛行機のアイデアを出しました。

ビジュアルはマンハッタンの夕景をバックにして、飛行機で角松さんがアクロ飛行をしているシュチエーションでした。

それから機体を探し、ホンダの桶川飛行場に在ったクラリオン・カラーのピッツS2を借りれる事になり、撮影日に桶川飛行場に行って実機を見ましたが、ピッツS2は複葉アクロバット専用の非常に小型の機種で、機体の殆どが航空ベニヤとハフ(布)張りで出来ていてコクピットに乗降りするのにも注意する必要があり、不用意に力を入れると壊れそうな機体でした。

撮影は順調に進み、撮影後のポジ・フィルム選びとレイアウトはすんなりと決り、コンピューターでマンハッタンとピッツS2を合成して馴染ませるのに相当時間が掛りましたが、アルバム・カバーは完成しました。

当時としては珍しかった、日本橋に在る会社のコンピューターを84年頃から使用していましたが、コンピューター本体は軍事用のイスラエル製で3億円、ソフトはイギリス製で2千万円と言ってました。現在ではパソコンで出来る作業ですが、80年代は使用料が高額だったので、一部のデザイナーと一部の会社しかコンピューターを使用していたのではないかと思いますが、コンピューターと携帯電話は普通の価格では無かったですね!

その後、撮影に使ったクラリオンのピッツS2が新聞に衝撃的な写真と記事が載っていて、全日空のパイロットが背面飛行した時に、地面に背面のままで不時着した写真が載っていましたが、パイロットはケガはしたそうですが、助かりました。

クラリオン・カラーのピッツS2は、撮影した機体とは別に、もう1機在りましたが、海に墜落したそうです。

ピッツには複座も有りますが、どちらにしても乗りたく無い機体の1機です。

 

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矢野雅幸(やの まさゆき)
大学卒業後、CBSソニーレコード(当時)に入社。27歳で独立、フリーのデザイナーとして「ビタミンスタジオ」を設立。数多くのアーティストのレコード、CDジャケットのデザインを手懸けている。その後東京 南青山の骨董通りにデスクトップ/ミュージアムモデル専門店「ウイング クラブ」をオープン。この種のモデルの国内における認知を高めると共に、独自のジャンルとして定着させた。