矢野雅幸ブログ

ヒコー少年回想録11

投稿日時:2017/05/04(木) 09:48

今回は高校1年時の夏休みに自転車旅行した話しです。

1965年に多度津工業高校に入学して、最初に専門課程の授業を受けた時に場違いな所に来てしまったなと言うのが、僕の第一印象でした。

中学3年の時、クラス・メートだった下駄屋の息子と先生の息子と僕の三人で、高校1年の夏休みに自転車で東京に行こうと、三人の誰からとも無く言い出して話しが決まり、夏までに自転車と旅費を揃えようと言う事になりました。

高校へは汽車通学だったので駅まで20分くらい歩く必要があり、親に自分用の自転車が必要だと力説しました。恐らく母は僕が登校拒否やグレたらマズイと思ったのか、意外と簡単に賛成してくれ、母の妹の節子さんに丸亀市の自転車屋を探してもらって、多度津から節子さんとバスで行きましたが、丸亀市の郊外に在る自転車屋でした。その自転車屋は僕の予想に反してドロップ・ハンドルのサイクリング車を多数展示販売していて、店主の自転車はマニアらしく多くのスペシャル・パーツを付けていました。

僕の計画では8月までに自転車を手に入れて旅費をどうにか貯める予定でしたが、一番のハードルだった自転車が思っていた以上のドロップ・ハンドルのサイクリング車で、予想外でした。

予算が限られていたので、僕が選んだのはナショナル自転車のメタリック・グリーンで4段変速でしたが今までの自転車に比べると、急にスポーツ・カーに乗った様な感じで、全てが僕の知っている自転車とは違っていましたが、慣れる為にそのお店から約25Km離れた観音寺市まで帰りました。それからは旅行準備の為にパーツを付ける度に往復50Kmを走っていましたが、途中に鳥坂(トッサカと言う、昔から坂のお店で鳥坂饅頭を売っている)が在り、その坂を越えるのは毎回キツカッタ!

夏休み前に二人に連絡をしたところ、二人とも何も準備していなくて、僕一人で行く事になりましたが、子供の時に汽車の乗換時に上野駅で待った記憶しか有りませんので、住んだ事の在る大阪(伊丹)と京都(宇治)の友達に会いに行く事にしました。

夏休みになってから7月は家に居て、僕の旅行は8月に決めていましたが兄に旅行の事は話しておきました。

8月に多度津の母の実家に泊まりに行って僕の旅行が始まりましたが、僕の手持ちは¥2500しか無くて、ナオエお祖母ちゃん(母の実母)に旅行の話しをしたら旅費として¥3000くれました。当時はうどんが一杯¥35前後でしたから¥5500の旅費は高校生には過不足有りませんでした。翌朝10時頃に多度津を発って高松から宇高連絡船に乗りましたが、お昼時だったので弁当を食べていた時に隣席の人から話かけられた事で、旅行が予想外の展開になりました。  続く。