矢野雅幸ブログ

ヒコー少年回想録13

投稿日時:2017/05/04(木) 09:53

尼崎を出発して、小学6年生の時に住んでいた京都府宇治市伊勢田町に向かいました。予定していたより早く伊勢田町に着いたので、宇治の平等院に寄りましたが、今とは違い、平日で暑かったのに人で混んでいました。自衛隊の官舎に住んで居たころに、道を挟んだ同じ官舎に住む、仲が良かった友達を訪ねて5日間泊めてもらい、

翌日は、京都市内に行って河原町のスロット・レーシング・カー・サーキットで遊び、友達も初めてのサーキットでしたが、僕と同じようにスロット・カーにハマッテしまい、その場でニチモのフェラーリ156F1(1/24*¥600)を買いました。

翌日から、小学校時代の同級生3人と僕で日本海側にある小浜市に海水浴に2泊3日で行きましたが、日本海の浜辺は瀬戸内海とは違っていて石が多かったです。2日目に泳ぎに行った時、海に飛び込んだ途端に痛みが走りました。

廻りを見ると相当な数のクラゲがいて、痛いお土産を日本海で貰いました。

伊勢田町に帰って来てから、小学6年生の時に唯一のプラモデル仲間だった友達の家に行き、その日は久し振りの再会で夜までプラモデルの話しで盛り上がりました。

翌日は午前中に友達と小学6年生の時に小倉小学校に行きましたが、夏休みで昔の担任の先生には会えませんでした。

午後から、友達と別れて尼崎の兄の寮に向かいましたが、小学生の時に行った伏見の模型屋に寄り道をしたので、尼崎に着いたのは夜になりましたが、寮に一泊させて貰い、翌日の昼ごろに尼崎を後に一路、四国に向かいました。

その日は朝から暑く、国道を走り神戸駅前まで行きましたが、駅前で買って飲んだコーラは美味くて、炎天下の駅前でコーラを2本も飲んでしまいました。

明石のフェリー乗り場には4時ごろ着いて、淡路島に渡り県道(国道?)を走りましたが、当時の僕が自転車で走った淡路島の道は舗装されていなくて、車も時折すれ違う位でした。

現在は、高速道路と明石大橋、鳴門大橋を通れば、淡路島を30~40分で通過して徳島県に行けるのですが、当時は自転車で淡路島を縦断(約70Km)するのに山越えもあり4時間掛って、徳島行きのフェリー乗り場に着いた時は夜の9時近くになっていました。

徳島県側の港に着いた時は9時半を過ぎていて、国道11号線を走りながら食堂を探しましたが、その時間に開店している食堂は無く、香川県の方向に走りましたが段々寂しくなり国道だけになり、1時間ぐらい走った所で、海側の堤防内側に自転車を止めて野宿をしました。

朝になって人の話し声で起されましたが、堤防近くに住む人が朝の散歩時に、堤防内側に寝ていた僕を見て不審者と思って話していたのかも知れません。

そんな状況になり、直に出発して多度津に向かい昼頃に着いて、

その日は母親の実家に泊めて貰い、翌日に観音寺に帰り、僕の初めての自転車旅行は終りましたが、夏休みが終わり学校が始まり、クラス・メイトに旅行の話と写真を見せている時に、背後に数学の教師がいて僕達の話を聞いていて、学級担任に話されてしまい、職員室に呼ばれて事情を聞かれ、無許可で県外を旅行した事に校則違反だと言われ、厳重注意に値すると担任から言われましたが、その後は何も有りませんでした。僕は内心この位の旅行は注意されるに値しないと思っていましたが、この一件で最初に感じた場違いな高校に興味が無くなり、趣味のプラモデルと音楽(バンド作り)にのめり込む事になりました。

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矢野雅幸(やの まさゆき)
大学卒業後、CBSソニーレコード(当時)に入社。27歳で独立、フリーのデザイナーとして「ビタミンスタジオ」を設立。数多くのアーティストのレコード、CDジャケットのデザインを手懸けている。その後東京 南青山の骨董通りにデスクトップ/ミュージアムモデル専門店「ウイング クラブ」をオープン。この種のモデルの国内における認知を高めると共に、独自のジャンルとして定着させた。