矢野雅幸ブログ

ヒコー少年回想録18-1972年 運命の10分間

投稿日時:2018/05/29(火) 09:35

人生はチョットした事で変わる1972年の話しです。

大学卒業後に福岡から東京に出て来た時は、東銀座のデザイン・スタジオに勤めていましたが、仕事が忙しくて朝から終電車まで働いていました。その頃は東武練馬に住んでいて乗換駅の池袋駅しか知らず、5ヶ月間仕事ばかりで東京を探索する暇も有りませんでした。8月末に知らない人から電話があり、その内容はCBSソニーのデザイナーの入社試験を受けてくれないかという事でした。

僕はその電話の人に、CBSソニーの下請けの会社ではないかと失礼な質問をしましたが、その電話の人はレコード会社のCBSソニーで、レコード・ジャケット専門のデザイナーが数人いると説明されました。何故、僕に電話したのか聞いたところ、6月に受けたソニー・クリェイテブ・プロダクツの試験を受けた時の課長から紹介されたの事でした。試験会場の住所を聞き試験を受けますと言ってから電話を切りました。

9月中旬に僕は試験場のある品川に行きましたが試験場が見つからなくて1時間遅れで試験場を見つけ。会場のドアを開けた途端に終了のベルが鳴り沢山の人達がドアに向かって来ました。その人達を掻き分けて中に入って行きました。

黒板の側に試験官と思われる人が居たので、事情を説明して大学時代の作品のスクラップ・ブックを見ている間の10分間だけ貰いました。その時の試験はアンディ・ウィリアムスのレコード・ジャケットのデザインでした。相当な人数が試験場に居たので諦めていましたが後日、合格通知が電報(当時は普通の事でした)で来ました。 初出社の当日も不慣れな六本木で迷い遅刻してデザイン室に行きました。そこには見覚えのある人が居てその人はデザイン室の山口室長で僕に10分間くれた人でした。その人が10分間くれなかったらティン・トイもニュー・ヨークも車もギターも、全て買ったり行ったり出来なかったと思います。後に出会った人々も違っていて、人生を違う形で歩んでいたかも知れませんので今でも山口室長に感謝しています。

当時のCBS SONYデザイン室はまるで大学のデザイン学科の様な場所でした。好きな音楽のレコード・ジャケット・デザインで給料が貰えるのです。しかも仕事中に音楽を聴くのは当たり前でバンドを組むのも普通の事で、全ての音楽に関して寛容でした。友人になった一人のデザイナーが持っていたティン・トイから国内の色々な場所に行ったり初めての海外旅行でニュー・ヨークまで行くとは思いませんでした。僕の人生のターニング・ポイントは10分間で決まりました。

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矢野雅幸(やの まさゆき)
大学卒業後、CBSソニーレコード(当時)に入社。27歳で独立、フリーのデザイナーとして「ビタミンスタジオ」を設立。数多くのアーティストのレコード、CDジャケットのデザインを手懸けている。その後東京 南青山の骨董通りにデスクトップ/ミュージアムモデル専門店「ウイング クラブ」をオープン。この種のモデルの国内における認知を高めると共に、独自のジャンルとして定着させた。