矢野雅幸ブログ

ヒコー少年回想録①

投稿日時:2016/01/19(火) 19:51
     矢野雅幸プロフィール
 
香川県生まれ。大学卒業後、レコード会社のCBSソニーに入社。レコード・ジャケット等のデザインを手がける。デザイナーになってから、ティントイを集めだし、ニューヨークに旅行してデザインとティントイの情熱が高まり、会社を退職。デザインの勉強をする為とティントイ収集の為にアメリカへ留学をする。帰国後、デザイン事務所「ビタミン・スタジオ」を設立。矢沢永吉、等のレコード・ジャケットを担当するなどしてデザイン事務所を軌道に乗せる。1988年アメリカ旅行中に出会った飛行機のデスクトップ・モデルに惚れ込む。デザイナーを引退していたら始めようと思っていた飛行機モデルの輸入販売を開始。1990年、「株式会社WING CLUB」を設立。「ウイング・クラブ」で販売されるモデルは実機に忠実で精巧だと評判が高く、根強いファンが多い。

1950年 香川県観音寺市に生まれる
1972年 CBSソニーに入社。レコードジャケットデザイナーとして活躍
1975年 アメリカへ旅行。ニューヨークに住むことを決意
1976年 CBSソニー退社。デザインの勉強のためニューヨークへ留学
1977年 帰国後、グラフィックデザインスタジオ「ビタミン・スタジオ」を設立。
      矢沢永吉などの多数のミュージシャンのレコードジャケット・デザインを手がける。
1988年 アメリカ旅行の際に、飛行機のデスクトップ・モデルに出会う。
    「TOYS & MODELS」の飛行機モデルの総代理店として輸入開始。
1990年 株式会社「ウイング・クラブ」を設立
1991年 南青山骨董取りに日本で初めての完成品飛行機模型専門店をオープン
1995年 宮崎駿監修によるジブリの「紅の豚」S-21発売開始
1998年 ジブリ「紅の豚」ミュージアム・モデル発売開始
1998年 ハーフ・スケルトン零戦52型(1/18スケール)発売
2000年 究極のモデルFw190D-9発売
2001年 究極のモデルF-86Fセイバー発売
2001年 テレビ東京「開運!なんでも鑑定団」に航空機関連グッズの鑑定師として出演。 
2002年 伝説のパイロット、スティーブ・ヒントン氏にプレーンズ・オブ・フェイムにて出会い、
              RB-51レッ ド・バロンのミュージアム・モデルを贈呈
2003年 バンダイから矢野雅幸監修による食玩「ウイング・クラブコレクション」を発売。大ヒット遂げる。
2003年 ミュージアム・モデル・シリーズ豪華写真本「WINGS」出版
2004年 1/144ネイビー・コレクター・シリーズ大和、赤城、長門、加賀、瑞鶴、飛龍 発売開始
2005年 究極のモデルMe109G-6発売
2006年 ハイエンド・モデルP-51D、コルセア、Me109G-6発売
2006年 究極のモデルMig15発売
2015年 究極のモデル零戦21型発売
 
数々のオリジナルモデルを開発、製造、販売。「すべての航空機、艦船をモデル化!!」をめざし、日本に上質な完成品飛行機・艦船モデルのジャンルを創成、定着させた。現在も世界各地の優秀なモデラーを探し、精密な飛行機モデルを発売し続けている。
 

●ウイング・クラブのブログは矢野の経験した、子供の時から現在までの回想録です。海外旅行、車、オモチャ、プラモデル、映画、音楽、デザイナー時代に関しての回想録ですが、回によってはマニアックな話もありますし、時代によって貨幣価値が異なりますので、その辺りを御理解して御読み下さい。
(株)ウイング・クラブ 矢野雅幸
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ウイング・クラブを設立しようと思ったのは1988年で、きっかけは原宿でビタミン・スタジオ(レコード・ジャケット専門のデザイン・スタジオ)を開いている時に、昼食後は何時も 原宿の裏通りのお店とか表通りのお店を見ていましたが、その日はキディ・ランドに行きましたが、そこで初めてトイズ&モデルズのデスクトップ・モデルを見ました。その時に直ぐ思い出したのは子供の時に自衛隊の映写会で観た映画「ロケット・パイロット」の司令官室に置いてあったモデルでした。

当時はLPからCDに変わり始めの時でしたし、アナログ・デザインからデジタル・デザインに移行する時だったのです。31.5Cmのレコード・ジャケット・デザインから12.5CmのCDデザインになるのは時代の流れで仕方の無い事ですが、僕はデザイナーとしてCDの大きさは魅力を感じられませんでした。

小学生の頃から飛行機が好きでプラモデルを作っていましたが、大学を出てからは作っていませんでしたが、原宿にあった模型店にも時々行ってましたが、80年代のプラモデルは60年代よりパーツが多くなり、デザインの暇な時に作る様なものではありませんでした。そんな時にデスクトップ・モデルを見つけて本職のデザインで1ミリ単位の仕事をしていたのでプラモデルの細かいディテールと塗装は仕事の安らぎとはならなくて、デスクトップ・モデルのセンスの良さと完成品に惹かれました。それから何処でデスクトップ・モデルが売っているのか都内で探しましたが、見つかりませんでした。

そこでアメリカに行けばデスクトップ・モデルを見つけられると思いロスに行きました。妻の親戚がロス郊外のサン・ディマスに住んでいて父親はアメリカン・エアラインズのパイロットで、二人の息子の一人はパイロットの卵で、父親が買ったパイパー・エアロ・ターボに殆ど毎日乗っていました。彼の名前はダニーで少し日本語を話せるので会話には困りませんでしたので、デスクトップ・モ デルを何処かで見た事無いか聞いたところ、アメリカではデスクトップ・モデルは珍しくなく、直ぐにモハーベ・エアポートに在る飛行機グッズを売るお店で見たとダニーが言ってくれました。

翌日、ダニーと彼のガール・フレンドと僕でパイパーを格納庫から出してモハーベ・エアポートに飛行しましたがモハーベ砂漠に行くのには山を越える必要があり、その向こうは砂色の世界が広がり遥か彼方にロッキー山脈(?)が見え、手前の砂漠にはスペース・シャトル用の長い滑走路が見えました。
モハーベ・エアポートのお店(現在は移転)はサープラス・ショップで空軍関係の中古品と、小物等は新品でデスクトップ・モデルは20機位展示していましたが、日本では買えないマーチン・ベーカー製F-4ファントムのエジェクション・シートが沢山売っていたのには驚きました。
そのお店でデスクトップ・モデルを買いましたが、その4機はDC-3、X-1、B-25、F-100ですが、その時に買ったX-1は映画「ライト・スタッフ」のチャック・イェガーが人類史上初のマッハ1を出した機体のデスクトップ・モデルなので売らないで、今でも会社の僕の机に置いています。この時からウイング・クラブの歴史が始まりました。


矢野雅幸

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矢野雅幸(やの まさゆき)
大学卒業後、CBSソニーレコード(当時)に入社。27歳で独立、フリーのデザイナーとして「ビタミンスタジオ」を設立。数多くのアーティストのレコード、CDジャケットのデザインを手懸けている。その後東京 南青山の骨董通りにデスクトップ/ミュージアムモデル専門店「ウイング クラブ」をオープン。この種のモデルの国内における認知を高めると共に、独自のジャンルとして定着させた。