矢野雅幸ブログ
ヒコー少年回想録17-1976年ニューヨークの出来事
投稿日時:2018/05/27(日) 21:39
1976年9月から半年間NYのレキシントン・アベニューの56丁目に間借りしていました。到着して3日目にホテルの部屋に置いてあったカメラとラテカセ(ラジオ、テレビ、カセットが一緒になっている)食事に行った間に神隠しに遭ってしまいました。それから3日後、ジョン・レノンのバック・バンド(サム・タイム・イン・ニユーヨーク・シティのアルバムでのバック・バンド)エレファンツ・メモリーが、その当時パンクで有名だったライブ・ハウスCBGBに出演をビレッジ・ボイス(今でも発刊されているのかな?)で見つけて、夜9時ごろCBGBに出かけていきました。道路の向かいにCBGBを見つけ、道路を渡ろうとして左を見ると一台の車が来ましたが、突然ドアが開いて女性が飛び出してきてアスファルトの上を数回まわりながら止まりました(その車は猛スピードで走り去りました)。後ろを走っていたバンがすぐ止まり黒人のドライバーが降りてきて、その女性を歩道に抱きかかえて座らせてケガが無いか聞いているようでした(子供が倒れていても無視する、ど
こかの国とは大違い!!)まるで映画を観ている様な感じで、35年前の事なのに今でも鮮明に憶えています。ニューヨークでの半年間は映画のような事が何度もありましたが、その話はまたの機会に!
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矢野雅幸(やの まさゆき)
大学卒業後、CBSソニーレコード(当時)に入社。27歳で独立、フリーのデザイナーとして「ビタミンスタジオ」を設立。数多くのアーティストのレコード、CDジャケットのデザインを手懸けている。その後東京 南青山の骨董通りにデスクトップ/ミュージアムモデル専門店「ウイング クラブ」をオープン。この種のモデルの国内における認知を高めると共に、独自のジャンルとして定着させた。
大学卒業後、CBSソニーレコード(当時)に入社。27歳で独立、フリーのデザイナーとして「ビタミンスタジオ」を設立。数多くのアーティストのレコード、CDジャケットのデザインを手懸けている。その後東京 南青山の骨董通りにデスクトップ/ミュージアムモデル専門店「ウイング クラブ」をオープン。この種のモデルの国内における認知を高めると共に、独自のジャンルとして定着させた。